時を放浪

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変化する言葉

ある日、twitterを見ていたらあるツイートが流れてきました。一枚の写真に一言だけ「ぴえん」と書かれたツイートです。多くの若者が使う言葉「ぴえん」。僕自身みんなのノリに合わせて「ぴえんだねー」とか「ぴえんじゃん」と言う時はあります。でも正直意味も知らなければ、使おうとも思わないし、何より聞くとなぜかイラっとします。結構イラっとします。

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個人的にはすごい嫌いな言葉、、、


時代が進むにつれて変化する「日本語」

 

昔と今では意味合いが違いがあるんじゃ?そもそも何で「日本語」は変化していくのか気になりました。ということで今回は「日本語」をテーマに書いていこうと思います。

 

※ちなみに「ぴえん」の意味ってちょっとした悲しみや嬉しさで泣いている様子を表すネットスラングらしくて、感情の度合いが色濃くなると滝泣(たきなき)になるらしいです。ぴえんって進化するんだ、、、笑

 

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自分が1番使う言葉は「マジで」です、、、



①日本語の歴史

昔の日本人は中国からの渡来や中国への渡航によって文字を学びました。つまり日本人が初めて目にした文字って「中国語」なんです。小中学校の授業でも習ったと思います。時代だと弥生時代「金印」とか聞いたことあるんじゃないですかね?この時代で日本に「文字」というツールが生まれました。

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そのため、今では授業で板書をノートに写すなど当たり前ですが、昔の授業では先生が話すことを復唱して記憶するしかなかったんです。中国人が持ち込んだ「文字」というコミュニケーションツールは日本の文化を一気に促進させました。 「文字」が中国語ならもちろん会話も「中国語」です。それでも「漢文」は当時の日本人には難しく、習得するのに時間がかかりました。でもこの時、日本人は発想の転換をしたんです。「漢文」にはとらわれないで、漢字が持つ「音」を利用して普段話している日本語をそのもも表記することにしたんです。つまり当て字です。

 

でも、この方法めちゃくちゃ効率が悪くて効率の悪さに悩んだ日本人は、あるものを発明しました。それが「訓」です。しかし、多くの文字を書くのにめんどくさくなった日本人は、中国語と日本語を区合わせることにしたんです。元からある「中国語」自分たちで作った「日本語」これを組み合わせることで誕生したのが「万葉仮名」です。つまりこれが私たちが普段使っている「日本語」の始まりです。「万葉仮名」で書かれたものが奈良時代の書物の古事記万葉集などです。

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ここには当時の話言葉も書かれていて、現代でいう「蝶々」は「ディェップディェプ」と言っていたらしいです。

 

でも、まだこれも効率悪いです。なんでかというと一文字の画数が多かったんです。そこでめんどくさがった当時の日本人が作ったのが文字を崩して書く「草仮名」です。そしてその「草仮名」を簡略したものが現代にも残る「ひらがな」です。ちなみに同時期に生まれたのは「カタカナ」です。

 

お坊さんたちが勉強効率を上げるため、素早く文字を書くために生まれたと言われています。

 

ここまでをまとめると

・日本に「文字」の文化は中国から

・「草仮名」の簡略化が「ひらがな」

・お坊さんに作られたのが「カタカナ」

 

 

②日本語変化(1)

日本で誕生した「ひらがな」これを武士たちが変化を加えていきます。たとえば「かえりごと」これを漢字をかっこいいって思ってた武士が「返事」と作り替えました。このように今にも残る「言葉」鎌倉時代に多く作られました。同時期の京都では公家を中心に話されていた都言葉があります。

 

この「都言葉」と漢字がかっこいいと思っている「侍文字」が合わさることで、もっと現代に近い日本語に近づいていきます。それが室町時代です。

 

京都に幕府が置かれた1338年。これにより公家の町京都にやってきたのが田舎侍たちです。ここで公家たちが武士たちに対して言葉や礼儀作法を教えてました。これによってある程度の「日本語」のある程度の基礎ができました。

 

次に言葉の転機が訪れるのが江戸時代です。この時に「藩政」が惹かれました。260年間関所が設けられ自由な行き来ができなくなった時に各地域で発達したのが「方言」です。その中でも江戸でできた「方言」こそ現代の標準語に大きな影響を与えていきます。

 

 

 

江戸では2つの「方言」がありました。赤坂、四谷など武家屋敷があった高台地域で使われた上品な言葉「山の手言葉」と庶民が使う「下町言葉」この「下町言葉」が室町、戦国時代で話された日本語を次々に変えていきます。でも100万人いたと言われる江戸時代。どうやってこの「下町言葉」が広まっていったと思いますか?

 

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正解は、漫画

正しくは「往来物」と言います。「文字」「絵」を使って「文字」「言葉」が普及したと言われています。これにより識字率は70%を超えて多くの人が「文字」「言葉」を覚えて位行くことになりました。※ちなみに時代劇などで侍が話すのは山の手言葉です。

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そして、現代の日本語により近づいたのが明治時代です。明治維新によって新しい時代に進むことになった日本。しかしここで新たな問題が発生します。それが「方言」です。意味が通じなすぎてこーミュニケーションが取れなかったのです。そこで明治政府は誰でも話せて、誰でも使える語を作ろうとなりました。それが「日本語」です。

 

 

でも、明治時代は外国の「異文化」や「外国語」など新しいものも入ってくる時代でした。しかし新しくし直した日本語では外国の物や英語をを表す言葉がなかったため、当時の人はルー大島状態だったとか、、、日本語と外国語を組み合わせて話す状態に「やばい!」っとなって文学者たちが急いで「造語」を作りました。

 

 

ここで、豆知識で菅、中国って正式名所は中華人民共和国ですが、実は「人民」「共和」って日本で作られた「造語」だったんです。文字を持ちこんだ日本から逆輸入って面白いですね。

 

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たくさんの言葉が作られた明治時代。ここで大きな大きな改革が起こります。それが「言文一致運動」です。どういうことかというと話し言葉と書き言葉を同じにしようとしたんです。簡単に説明しますね。

 

「私は筆を持っています」これは話し言葉です。書き言葉に直すと、「我レ筆ヲ持チタリ」です。おかしくないですか?話すと書くで違うんです英語だと I have a pen. これって話すのも書くもの一緒ですよね?そこで話し言葉と文章を一致させる「言文一致運動」が起きたんです。

 

あれよあれよと一致させるために試行錯誤した結果定着して行ったんです。この時に完成した日本語を学校の授業で開始。これが「国語」です。これによって明治時代には書き言葉が今の日本語とほとんどが変わらなくなりました。これにより書き言葉は一気に広まりました。

 

そして書き言葉に遅れをなしていた話し言葉ですが、昭和時代にあるもので普及します。それが「ラジオ放送」です。しかし一気に普及とはいきませんでした。昭和初期では明治の漢文訓統詞が使われていたため、うまく広がることができませんでした。しかし昭和10年に子供だけではなく、教える先生にも向けて「学校放送」が開始しなどイントネーションを治すため、数多くの努力をした結果、日本語は一気に標準語の画一化に向かいました。

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つまり、「書き言葉」「話し言葉」として今の日本語に出来上がったのは昭和初期なんですね。すごくないですか?弥生時代に入ってきた言葉が昭和時代に完成したんです。

これが日本語の歴史です。

 

ではどうして、現代でも新しい言葉は生まれ続けるのか?これを書いていて気づいたことが2つあります。「効率化」「乱れ」です。時代が進むにつれて言葉とは常に変化するもの。それは今までの歴史が証明してます。

 

「伝わりやすく」

「使える言葉を」

「コミュニケーション取れる言葉」

 

これが日本語を作ってきた上で大事になっていたポイントなんじゃないんでしょうか?しかし、今の日本で起こっているのは「言葉の変化」ではなく「言葉の乱れ」そもそも言葉とは意味を表すため、口で言ったり字で書いたりするもの。果たして今若者が使う言葉は言葉なのでしょうか?

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「このラーメン、やばい」美味しいか、まずいかわからないですよね?これは発した本人のテンションを見て判断しませんか?このように文だけで見たら伝わらない日本語は果たして日本語と言えるのか?はたまた新しい言葉の誕生なのか?日本語が持つ「曖昧さ」この流れからできた「言葉たち」なのかもしれません。

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