時を放浪

今の「リアル」を発信

旅路

 

2ヶ月間の旅路は終わりを迎え地元に戻ってきた。コロナ感染とかではなく、込み入った家庭の事情で数日はホテル暮らし。1人の時間もホテルで最後なので、この時間を期に旅の記録と思い出を書き残そうと思います。

 

1、そもそも 

2、学んだ事 

3、最後に、、、 

 

目次としてはこんな感じに話を書き記していこうかなと。読む方はめんどくさいと感じても最後まで読んでほしいかな笑。最後まで読んでいいね!と思ったらスターをポチッと押してください!それでは最後までよろしくお願いします。

 

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9/8 新潟県

 

1、そもそもの話 

今は日本一周をブログを書いているが、元から日本一周をしたかったわけじゃない。元々は世界をバック1つで旅をしたかった。俗に言うバックパッカーだ。2020年春に合わせて準備をしていた。しかし、コロナの影響で緊急事態宣言が発令。今では渡航が徐々に解除されてきたが、当時は年内での海外渡航は無理だろうと報道されていた。この発令は私を地獄の底に叩き落とした。夢に向かってがむしゃらに働き、辛い時もバックパッカーの為だと言い聞かせ何度も自分を奮い立たせてきた。でも、死ぬ気でやってきた頑張りと夢は100nm(ナノメートル)程のウイルスにブチ壊されたのだ。心に頑張る気持ちが残ってる訳は無く、無気力な状態が毎日続いていった。そんなメンヘラ状態からなぜ日本一周に切り替えたのか。それは親父の助言がきっかけだ。でもその前に話しておきたいのが、私が世界一周をしたかった理由だ。周りには面白そう、かっこいいなど細かい説明が面倒で適当に答えてきた。でも本当の理由は

 

「 知らない事を

        知ったつもりで終わらせたくない 」

 

というのが根底にある。以前に所属していたNPO法人で世界一周を相談すると「 ネットで調べればよくない?知りたい事なんてネットに沢山載ってる」とある人に言われた事がある。確かにネットで調べたいモノがある場合、調べたモノはただの「情報」から「自分の知識」として備わると考えるのが普通だが「自分の知識」として備わったモノは元々「他者の知識」だ。そのまま「他者の知識」を落とし込んで「自分の知識」に変換する行為は私の中ではまだ「情報」と捉えている。その「情報」「知識」にするためには自分の足で訪れ、自分の目で見て芽生えた「感受性」「他人の知識」を客観的に捉えて比べる事で、生まれる相対的な部分が「自分の知識」になると思う。自分の中で「情報」「知識」に変えるために知らない世界を私は見て巡りたかった。

 

 上記の様な私に、父は「お前は世界に行きたいって言うけど、日本のことは知ってるのか?」と言われた。知ってる事もあるが知らない事の方が圧倒的に多い。日本で知らない事って何?と思うかもしれないが、それを答えられないぐらい知らない事が多い。世界だろうが日本だろうが知らない世界を知るには変わりないと考え日本一周をする事を決断して始まったのがそもそもの話だ。

 

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9月11日 青森県

 

2、学んだこと 

自分自信(内側)で考えて学ぶ事他者(外側)から学ぶ事2通りある。そして旅は「非日常」に当たる。この「非日常」に身を置くと「日常」で気づかなかった当たり前から学ぶ事が沢山ある。その中で「考える」という点は旅で1番学んだ事かもしれない。

 

人は1日の中で最大400回ほど顔を触り、1日の中で4回ほど嘘をつき、1日の中で11回ほど笑うとされている。では人間は1日で何回考え事をすると言われているか。答えは60000回ほど考え事をすると言われている。それらの普段で気にしない事は、日常の中に溶け込み、人の無意識の中で形を成している。だからこそ日常に溶け込んだ無意識を意識して生活する人は少ないだろう。でも私は、非日常を通して意識して考え事をするようになった。「考える」という行為自体、「疑問」が生まれなければ「考える」という行為は出てこない。例えば、

 

「A≠B」

 

という常識があるとする。その際に人は「A≠B」を常識として教えられる。でもなぜ「A≠B」になるのか。その理由を求めるようになった。1つ疑問に思うと関連して次から次えと違う疑問が生まれる。目に入ってくる情報や当たり前をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の中で噛む砕いて納得したものを自分の中にインプットする。この考え方は旅の中で得られた大きな「学び」だった。

 

そして旅の中で学んだ2つ目は、自分が何かを成し遂げようとする際に大事だなと感じたモノだ。それが、

 

「ガキの心を持ち続ける」

 

これだけ言われても分からないと思うので例を挙げようと思う。小学生の時、欲しいモノを親に相談すると「次のテストで100点とったら〜」や「次の大会で優勝したら〜」など逆提示された事はないだろうか?親に提示された瞬間は「やるぞ!」と意気込むがその後って皆さんはやり続けられただろうか?結論から言うと子供は「やりたいモノ」や「やりたいこと」がある際に、何か障害や難問が存在してもやりきってしまう。「勉強やだ」「練習したくない」「面倒くさい」となっても最後まで何とかしてしまうのだ。子供の時は目的のためなら嫌いなことも頑張れていた。あくまで目的や夢のために子供みたく頑張れて、無邪気に頑張る姿勢が大事なのだ。だからこそ意味と意義を勘違いしてはいけない。それは、

 

「ガキの心を持ち続ける」

「ガキのままでいること」は違う。

 

「ガキの心を持ち続ける」というのは心の持ちようであって、やりたい事をやる際は現実も見なくてはいけない。面倒くさい、やりたくないなど逃避ばかりしたり、公言した事もまともに出来ない現実を見ずに周りに迷惑をかける人が存在する。それは「ガキの心を持ち続ける」ではなく「ガキのまま」で成長し切れていないただの子供だ。

 

私は今まで「ガキのまま」だったと思う。面倒くさい、やりたくない、そんなしょうもない理由で幾つもの時間を無駄にしてきた。無駄にしてきた時間が多いからこそ、これからの時間を大切に目的を持って過ごしていきたい。これからは「ガキの心」を持ち、やりたい事を歩んでいく事を学んだ。

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10月2日 富山県

 

3、最後に、、、  

 「夢」だった「旅」が終わりを告げ、私は次の「夢」に向かって走り続ける。ここでは次の夢は公表しないが飲みの時などに聞いてほしい。多分だが大勢の人に笑われる「夢」だろう。馬鹿にされるし、「無理だろ(笑)」と言われるし、陰で笑われると思う。どれだけ馬鹿にしてもいい。貶してもいい。それでも私は歩み続ける。

 

この旅で

モノは盗まれ

お金も盗まれて

虚しさに包まれた

でも

夢を追う事

目的を持つ事

自分に嘘をつかない事など

 

この旅の悪い経験、いい経験も

 

人生の糧に

人生の笑い話にして

「夢」に向かい次に進んでいきたい。

 

最後までありがとうございました。

 

9/7〜11/9

日数:64日間

距離:7245㎞

金額:38万円

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10月14日 兵庫県