時を放浪

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原発問題〜現在〜

4回に分けて、福島第一原発をテーマに話をしてきた。今回は「現在」をテーマに話していく。事故から9年。時間が経つにつれて人の記憶から薄れていく中、日本で生きる私たちが知っていないといけない真実とは何か。

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1回目では原発の仕組み。2回目は国と東電の対応。3回目は放射線について書いてきた。見ていない方がいたら、記事を貼っておくので後で見て欲しい。

 

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④現在

(1)汚染水

福島原発は今でも、1号機から3号機の原子炉に溶けおちた核燃料が残されている。常に熱を出し続けているため、冷却作業は今でも行われている。冷却作業で使用した水は「汚染水」に変わり、敷地内で放射性物質を取り除く作業が行われてる。約120万トンもの汚染水がたまり、今もなおその量は増え続けている。

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2019年には国が、汚染水を海に放流する必要があるかもしれないと述べた。理由としては2022年に貯蔵するタンクが一杯になるからとしている。海への放出は基準以下に薄めた上で放出するものであり、原子力を要する各国では実施例があり、実績があるとしている。そしてもう1つ案が上がっている。大気中に放出だ。この手法も41年前、メルトダウンを起こしたアメリカスマイリー島で行われている手法だ。これには地元漁業関係者からは強く反対の声が上がっている。国は地元民の声を受け止め、違う解決方法を模索するのか、結論通り実施されるのか。復興に向けて進む中、国の決断が今後の行方を左右するかもしれない。

 

(2)廃炉作業

1日4000人の人間が廃炉作業を行っている。普段平凡に生きる私たちの裏で4000人の人が普段以上に「放射線」を浴びてでも作業をしてくれている。その廃炉作業は最長で40年かかると言われ、作業の計画では4分の1となる9年が経とうとしておる。

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しかし全体としては計画は遅れているのが現状だ。廃炉作業はこれからより一層難しい段階を迎えようとしている。専門家は今後の作業を「未知の領域」と述べており、今は存在しない新たな技術開発が必要としている。廃炉作業には最大の難所が存在する「デブリ」だ。デブリとは溶けた核燃料のことだ。核燃料が高温になって溶けている時、こうした周囲の構造物も溶けてしまい、混じり合って「デブリ」になると考えられている。1〜3号機の原子炉の中や原子炉を覆っている格納容器は下の方に溜まっていると見られている。総量は推定880トンに及ぶ。

 

格納容器は事故で損傷していて、修理が難しい。現在では放射線を遮断する水で満たした状態で取り出すことができない。そのため日本がやろうとしている事は、「気中工法」と呼ばれる方法を軸に考えられている。これは世界でも例がなく、安全対策を徹底して行わなければいけない。

 

原発問題解決に向けて廃炉作業は取り行われている。しかし何を持って作業を終了とするのか。核燃料を無事運び出し、建屋を解体した後更地にするとされるが、しかしその土地に染み付いた放射線は残り続ける。土地を安全に安心して使えるようにしなくてはならない。国と東電は防げたはずの事故で生まれた「風評被害」を抑えて、廃炉作業を終えられることができるのではないだろうか。

 

(3)避難者

避難者生活は4万人もの人がまだ存在する。現在でも避難指示区域は指定されている。「帰還困難区域」「移住制限区域」「避難指示解除準備期間」と3種類あったが、2014年から徐々に解消され、現在では「帰還困難区域」を残すだけとされている。しかし街には帰らないという声も沢山ある。県外に避難した人はそこで家庭を築いた人もいる。高齢者で仮設住宅で暮らす人も不自由がないと言う。果たして自分の街に帰るのが必ずしも幸福につながるのか。この先国がどのように対応するのか。そして「帰還困難区域」はいつ解除されるのか。今もまだ帰還困難区域の時は動いていない。」

 

 

最後に、、、

2011年3月11日。部活の鍵を取りに職員室に向かった。その時に職員室で見たテレビの光景を今でも忘れられない。日々の生活で東日本の事を思い出す人は少ないだろう。それでも1年に1度この日に東日本を思い出す事で、出来事を風化させず、次への教訓として生かしていかないといけない。

 

震災から2年後。父の仕事関係で宮城に行った事がある。当時父は塾の仕事をしていて、被災した高校受験を控える子供達に授業をしていた。さすがにその邪魔はできないので、一人でぶらぶらしていると一人の子供に会った。お兄ちゃんと一緒に来たという。退屈しのぎに一緒に遊んでいると、家族のことを話してくれた。その話が一生忘れることができない。

 

生きたくても生きられなかった人がいる。住みたくても住めない町がある。一緒に居たかった人がいる。沢山の思いが生まれる東日本大震災。私たちが生きていくこの先の時代に伝えていかないといけない。「今」を知らなくてはいけない。その時代を過ごしていた1人の人間として、現在を知らないといけない。私たちに今日できることは亡くなられた方々を思い、未来に向けてこの東日本大震災を伝えていくことだ----。