時を放浪

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原発問題〜人災〜

東日本大震災から9年という時が経過しようとしている。2011年3月11日、日本で観測史上最大の大地震が発生。激しい揺れの後に想像を超える巨大津波が襲い、現在でも行方不明者は2529人、死者は1万5899人にのぼる。当時のニュースでは津波の瞬間を捉えた映像などが繰り返し報道され、未曾有の大災害として記憶にも記録にも残る。

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 翌日には大災害についで大事故が発生した。

 

 福島原子力発電「水素爆発」

 

東京電力福島第一原発の原子炉が3基同時にメルトダウンを起こした。IAEA(国際減力機関)が定める原発事故の国際評価尺度では、「 深刻な事故 」を指す「 レベル7 」とされ、放射能の総放出量は広島に投下された原発の168発分に匹敵する算定だ。事故の影響で福島県の一部では立ち入り禁止区間があり、9年という時が経っても街の時は動いていない。

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 なぜあの事故が起きてしまったのか。東京電力、政府はなにをしていたのか。世界を震えさせた原発事故に何があったのかを書いていくが、テーマは「原発事故」。話自体も長いので今回は何部門かに分けていく。

①人災←今回

②平和ボケ

死の灰

④現在

 で書いていこうと思います。

 

その前に皆さんに問いたい。原発事故は地震によって起きた事故だと思いますか?IAEAの事務次長を務めた原子力工学専門家ブルーノ・ペロード氏はあるコメントを残している。

 

”この事故は天災ではなく、人災だ”と。

 

①人災

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原子力発電は、世界中で約50年前から行われている発電方式だ。その特徴は発電段階においてCO2を全く排出せず、大量の発電を安定して供給することができる。使い切っても燃料を再処理すれば、再利用が可能であったため、エネルギー資源が乏しい日本には重要な発電方法として重要視されていた。しかし放射能の慎重な管理も必要な発電である。

 

原子力発電の燃料は「 ウラン 」である。ウランでなければ発電することができない。

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 物質というのは、原子核と周りに付く電子によって成り立っている。その原子核が2つ以上の原子核に分裂することで核分裂になる。ウランの原子核中性子を当てると分裂が起き、膨大な熱が発生。この熱を利用したのが原子力発電だ。ウラン燃料の核分裂が行われる場所を「 原子炉 」と言う。水や制御棒で核分裂の数をコントロールすることで、一定の出力で運転することができる。大量の水が必要となるため、原子力というのは海辺の近くに建てられている。

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原子炉内の写真


ここまでは原子力発電の仕組み。ここからは地震発生から爆発までに至る説明を時系列と共に、話していきたいと思います。※時間はわかりやすくするため大体の時間で表記します。

 

(1)地震発生 3/11 14:45

3月11日に地震が発生。

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地震の発生により、 発電所スクラム(原子炉の緊急停止)をしました。スクラムは原子炉の安全を守るために行われる措置で、異変を感知した場合は行われます。この時には放射線漏れなどの異常は検知されませんでした。しかし停止しても、原子炉は膨大な熱を出し続けているため、 水などを注入し冷却をしないといけない。そのためイソコン(冷却装置)起動し原子炉の冷却作業は続いていた。原発では電力を保つため非常用のディーゼル発電機で電気を保つなど対応をしていた。地震直後の津波警報では予想は3メートル。この時は誰もが予想を超える津波とは考えていなかった。

 

(2)津波到達 15:35

この時、東北では予想を超える10メートル級の津波が襲いかかる。原発も浸水。海水はシャッターもうち破り建物内へ侵入。地下にまで流れ込んだ。これにより電源盤と非常用ディーゼル発電機が海水をかぶり、機能を停止。SBO(全交流電源喪失が起きた。この出来事は福島から230キロ離れた東京の東電本店にも報告された。この時に福島原発所長を務めていたのは吉田昌郎さんは本店にこう告げた。

 

シビアアクシデント(過酷事故)かもしれない。電源車を用意してくれ”

 

※電源車→電気などを供給できるもの

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暗闇の中でモニターなどは確認できず、建屋に確認しに行こうとしても余震が大きく、動くにも動けなかった。この状態が続けば冷却装置の冷却水は蒸発し、核燃料が自ら溶けるメルトダウンの可能性もあった。そのためにイソコンが動いているのか確認が急がれた。

 

(3)イソコン機能低下 16:00

イソコンは発生した蒸気を外に出す排気口が付いている。通常ならば排気口からは煙が大量に出るが、この時にはモヤモヤとした煙が上がっていた。つまりイソコンの機能が低下している現象だった。しかも核燃料を冷やす水が90センチも低下、このままいくとTAFと言われる核燃料の頭頂部が丸見えになってしまう。つまり核燃料の一部を冷やすことができないということだった。この時予想された、頭頂部まで水位が下がる時間は、残り1時間とされていた。

 

(4)メルトダウン 19:30

地震発生から4時間40分が過ぎた頃、原発1号機では核燃料が自らの熱で溶け始める「メルトダウン」が始まっていた。最初にも説明したが核燃料は常に冷やしていないといけない。この時すでに爆発に向けて時間の針が動き出していた。

 

(5)深刻化 19:47

地震発生から1時間経過後に送った電源車の要求。大渋滞や地震による道路状況悪化でまだ電源車は1台も届いていなかった。事故後の解析ではメルトダウンによる熱で原子炉の底に穴が開き、大量の核燃料がこの時には流れたと言われている。現場では徐々に異変を感じるようになってきた。建屋内でも外でも1時間1.2mSvの放射能値を観測した。これは一般人の年間被ばく限度と同じ量。

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見にくいですが、、、

 

(6)格納容器圧力 23:50

事件発生から9時間が経過した時、格納容器圧力が600KPaを示した。通常の6倍の圧力がかかっていたのだ。通常は放射能をこぼさないために、原子炉の周りを格納容器が囲っている。

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その格納容器の圧力がいつ壊れてもおかしくない状況まで上がっていたのだ。この危機を脱するために格納容器内の圧力を抜く「べント」ある。(上の画像では横に水を含んだところ。)格納容器を守るために内部の圧力を抜く緊急時の手段。放射能を含んだ蒸気を水にくぐらせ、大半の放射能をとってから放出を行う。このベントは世界で初めてとなる手段だった。通常ならば制御室から電力を使いベントを扱う。しかしこの時には電力もなく、手動で行わなければいけなかった。制御室では中に潜る人選が行われ、若者は一人も選ばれなかったという。

 

そして、同じ頃に電源車が到着。しかし余震や津波警報により朝まで作業が行えなかった。

 

(7)べント実施 3/12 9:00

第一次班が防護服を着て、ベントに向かう。20分後1つ目のベント弁を開くことに成功。この時の被ばく量は25mSvを超えていた。これは原発作業員の年間被ばく限度の半分に及ぶ数値だった。そして第二班が格納容器の中に入っていく。だが毎時間1000mSvを記録。中に入った作業員の被ばく線量は85mSvとこれ以上被ばくすれば命を落とす所まであがっていた。内部では被ばく線量が高いため、外側から空気を送る作業などが行われていた。

 

(8)蒸気放出 14:00

この時、成功を示唆する蒸気が放出された。蒸気の放出により格納容器の圧力が低下。ベントによる効果だと思われた。そして電源車の作業も順調に進められていた。電源車にコードが接続、冷却水も注入ができる状態だった。しかし世界最悪レベルと言われる事故が起きてしまう。

 

(9)水蒸気爆発 15:36

地震発生から24時間50分後の出来事だった。

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高温になった核燃料から、発生した水素が建屋ないで充満。それが爆発を起こし建物が吹き飛んだ。この爆発により敷地内の放射線値は上昇。電気の回復も目前まで迫っていたが、爆発によりケーブルは切断され、また1からのスタートになった。制御室では若者は退却され、ベテランだけ残り作業を続行。原因解明とさらなる抑止のため作業が行われた。

 

全電源を失い、冷却機能を失った原子炉は一気にメルトダウン。時間が経つにつれ、放射線の問題は大きくなり、事故対応を阻んだ。しかし1号機はただの始まりにしか過ぎなかった。ここまで、地震発生から爆発までの流れを話してきました。いかがでしたか?少ししか知らなかった。原子力水素爆発。流れというのはみなさん知れましたか?

 

これは文章でお伝えしているので、当時の人との会話や雰囲気というのは細かく詳細をお伝えすることができません。僕もまだ文章書くのうまくないですし。

 

しかし、今度公開される映画

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「Fukushima50」

 

www.youtube.com

原発事故で何が起きたのか、ノンフィクションで描かれています。あのとき何が起きたのか、何が行われていたのか。知ることができます。全国で放映中です。

 

今回は「人災」を見出しとして書きました。次回で人災の理由が明らかになります。それに加えて「平和ボケ」をもテーマに書いていこうと思います。